上鈴木稲荷神社 of 上鈴木成年親睦會

上鈴木稲荷神社

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上鈴木稲荷神社について
この稲荷神社のある玉川上水南沿いは、上鈴木(現上水本町)といい、鈴木新田の1つに属する。 本神社は、享保8年(1723年)3月、新田開発の際に親村である貫井村(現小金井市貫井町)から、稲荷神社を勧請し、鎮守として遷祀したものである。 明治6年に村社に列せられる。 明治41年に、下鈴木(現鈴木町)の稲荷神社に合祀されるが、地元住民の強い要望により、昭和24年1月に、元陸軍経理学校に祀られていた若松神社社殿を大蔵省より払い下げを受け、昭和27年2月分霊鎮座祭を斎行し、再び上鈴木(現上水本町)の氏神様として遷座申し上げ、現在に至る。

祭神 倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)
父神、素戔嗚命と、母神、神大市比売命との間に生まれた神。延喜式祝詞の中に「是れ稲の霊なり」とあるように稲の精霊で、稲荷神社の社名は「稲生り(いねなり)」から「いなり」となったもの。中世以後、商工業が盛んになると、農耕神から殖産興業神・商業神・屋敷神とその御神格が拡大し、農村だけでなく、町家にも勧請されるようになった。稲荷神社の神使をキツネとする民間信仰は、この神が別名、御饌神(みけつかみ)と呼ばれるのでキツネの古名ケツから「みけつかみ」に「三狐神」の字を充てたことにもとづくという。



境内神社    
須賀神社 祭神 建早須佐之男命(たけはやすさのおのみこ)
伊邪那岐命から化生された神で、天照大神の弟神にあたる。天照命・月読命とともに最高に貴い神として三貴神(さんきしん・みはしらのうずのみこ)と称される。素盞(すさ)は荒(すさ)ぶなどというスサで、この神が高天原におられた時には荒々しい振舞が多かったので、そのために付加された神名である。この神の所業によって天照大神が怒って天の岩戸に隠れられた話はよく知られ、その罪によりこの神は高天原を追われ、出雲国に下られる。出雲に下ってからは、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じた。その故、人々に福祉を授ける神とされ、農耕・疫病除けの善神として神徳を発揮される。印度の祇園精舎の守護神、牛頭天王とその事跡の上で類似の点があるので、古くから混仰され、牛頭天王すなわち素盞嗚命とする信仰がある。天王(祇園)系の神社はこの神を祀り、その祭事は本来は夏祭りが中心で、氏神系(秋祭)と違って、山車・鋒・風流物など派手な祭であることが特徴である。神名に建・速が付くのは美称。        

御岳神社 祭神 不詳

   本殿     23平方メートル
   幣殿     13平方メートル
   拝殿     25平方メートル
   社務所    約50平方メートル
   境内敷地  1,218平方メートル

平成元年11月 小平市教育委員会 小平郷土研究会 調べ。



補足
現在、木造茅葺屋根の本殿は風雨にさらされることのないよう、覆殿内に大切に安置されている。終戦時、GHQに放火され、北側に残されたこげ痕もそのままに、歴史の生き証人として、地元の氏子に大切に保存されている。
尚、平成23年3月11日の東北大震災で基礎部分を破損。
平成24年8月11日のゲリラ豪雨の落雷によって、西側、松の木より雷が入り、梁をつたって東側にぬけた際、破損。即修理されたが、火災等大きな災害とはならず、現在に至る。

御太鼓

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平成2年作成の太鼓。





御神輿

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太鼓と同じく、平成2年作成の御神輿。